第2回の幼心

第2回の幼心 「上手な文章ってなに?」 を平明な心得から覗く
テキスト: 『読書について』 中央公論新社 小林秀雄


- 昔は文章体と口語体とがはっきり分かれていたが、今の文学者は、皆口語体で書いているから、喋る事と書く事との区別が一般に非常に曖昧になって来ています。『喋ることと書くこと』

「批評の神様」は冒頭、文章について「喋ると書く」から書く事の心得を唱えます。
子どもにめんとむかって「上手な文章ってなに? 教えて?」と訴えられ
はたして、こんな文章だよと応答できる大人がどれだけいるでしょうか。
そこで第2回の幼心は、「上手な文章ってなに?」を平明な心得から覗きます。

「いい散文」とは、人の弱みにつけ込まないこと


批評家の小林秀雄は、『読書について』で優れた散文についてをつぎのように記しています。
ここでは、散文≒文章と考えて参照します。

-いい散文は、決して人の弱みにつけ込みはしないし、人を酔わせもしない。読者は覚めていれば覚めている程いいと言うでしょう。優れた散文に、若し感動があるとすれば、それは、認識や自覚のもたらす感動だと思います。

本来の散文とは-
・芸術のうちで一番抽象的で知的なもの
・(散文の芸術が行われる)活字は精神に、知性に訴えるもの
・ともすれば博学のうちに眠ろうとする知性を目覚ますもの
・機械的な論証のうちに硬直しようとする精神に活を与えようとするもの

おおよそこの4つが「いい散文」つまり口語体で書かれた文章と、小林秀雄は語っています。
この散文に対する考えを平明な心得として覗くとすれば
いい散文とは「静かに読み手の認識や自覚を促す文章」といえそうです。

読み手に「こんなことに気づいたんだよ!」と思わせることのできる(大らかな)文章。

(大らかな)ここにはほかに、静かや真摯なや余裕のあるなどが入るかもしれません。

これが幼心からくる、「上手な文章ってなに?」の回答になりそうです


テキスト: 『読書について』 中央公論新社 小林秀雄


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